2019年9月5日木曜日

新聞コラム(その9)

吹き込まれる命

「本屋」と「古本屋」―。どちらも本を売る商売である。

ところが一般的には商売がたきとされていて、県外から来た書店員が「古本屋と仲良くするなんて、ありえない」と断言したのに驚いたことがある。

しかし沖縄においては事情が違っていて、ライバルという関係性はありつつも仲がいい、のだそうだ。
はっきりした理由は分かっていないが、きっかけは米軍統治時代ではないかといわれている。

そのころの沖縄では日本との商売は貿易扱い。円とドルとの換算もあって手続きが複雑なために、売れ残った本があれば返品せずに書店がバーゲン本として売るなど独自に処分していた。さらに高くつく船賃などを捻出するために定価とは異なる価格での販売も行われていた。

のちには古本屋が出版に乗り出してみずから新刊を生み出したり、地元出版社が古本屋に新刊を置いてもらうといったことも日常的に行われるようになる。最近でも、新刊書店だったのが古本屋に業態をかえたり、古本屋がアンテナショップに新刊を納入するようなケースもあった。

つまり、「歴史的に新刊と古本との区別がつけられてこなかった」のであろう。

さて、沖縄の本屋さんと古本屋さんの「仲の良さ」を象徴するようなふたつのイベントが現在開催中である。

パレットくもじにある新刊書店「リブロ」では、6つの個性的な古本屋がそれぞれの得意ジャンルを持ち寄って販売する「リブロ古書フェス」が開かれている(27日まで)。

そしてもうひとつが、10周年を迎えた那覇のジュンク堂と、40周年を迎えた宜野湾の古本屋・榕樹書林とがタッグを組んだ大型フェアである(ジュンク堂那覇店で20日まで)。

そういえば、ある古本屋さんで頼まれてしばらく店番をしたことがある。客が来ないときに本棚の乱れを直したり、あっちの本をこっちに移動したりと、手を入れたとたんに本が売れていくのには驚いた。

「人生を変えた一冊の本」などというが、なにも変わるのは人間の側だけではない。紙に何かを刷ったり、文字や絵を描いたりして綴じれば「本」は完成するが、命が吹き込まれるのは、人がそれを手にしたときではないだろうか。

おしょうゆやジュースなどとは違って、同じ本をくりかえし何十回も買うという人は少ない。だけど、かじった食べ物を人にあげるわけにはいかなくても、本は減ったりすぐ腐ったりしないから、読み終わった本をあげたってかまわないし、ふたたび売り物として流通させることもできる。

店番をしていたブックストアでは、本が売れたスペースに次の一冊を並べれば、またそこから売れていった。「棚は生き物」「棚の新陳代謝」とは、まさしくその通りだと思った。

いろいろな形で世の中に出回って、その世界に触れる人が増えたとき。本は何度でも生まれ変わる。

ピカピカの本と、年季の入った本がともに並んでいる売り場には、土着的でおおらかな魅力がある。今日もたくさんの本たちが、命が吹き込まれるのを待っているはずだ。

(2019年5月11日沖縄タイムス3面)

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