2017年7月28日金曜日

韓国で沖縄の本屋さんのことを話してきた記録

「沖縄の本屋さんの調査」について、地元の新聞にこんな原稿を書きました。海外で沖縄の本屋さんのことをアピールする機会に恵まれて、その日のレポートになります。新聞のほうは上下回になっているので2回に分けて掲載し、発表した文章もあとで公開したいと思います。

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みなさんは「東アジア出版人会議」を知っているだろうか。
沖縄の出版人がそれに参加していることも。

五月二十四日、那覇空港から二時間あまりで、韓国の仁川空港に到着した。

東アジアの各国は二十世紀、さまざまな紛争や混乱——侵略戦争・文革・軍事独裁・民主化闘争、返還——に見舞われ、それまで各地をむすんでいた「書物による交流」は断絶された。
その交流を再興すべく、日本の編集者三人が呼びかけ人となって二〇〇五年に発足したのが「東アジア出版人会議」だ。




五つの地域(日本・中国・韓国・香港・台湾)の、おもに哲学や思想、宗教、社会、歴史などの人文書を発行している出版社で構成されている。
そこに、沖縄も「第六の地域」として加わったのだ。

各地を巡回して会議と交流が行われていて、今回の開催地はソウル。沖縄から来たのは、石垣にある日本最南端の出版社「南山舎」の大森一也さん、沖縄事務局長で「沖縄時事出版」の呉屋栄治さん、そして私の三人だ。

韓国から十五名、中国九名、台湾二名、香港三名、日本七名の、そうそうたる顔ぶれである。

議題は「東アジア出版、いま企画中」、若い編集者たち—現場の声、とサブタイトルがついている。私も発表者の一人。実際の歳はともかく沖縄出版界ではその部類に入ってしまう。

新しい人材を育てていくのが難しいという課題は日本の出版界に共通するようだが、ほかを見ると二十代・三十代の発表者ばかりで、出版が「成長産業」だと一目で分かる。

十四人の発表者による「ただいま企画中」はどれも興味深かった。韓国・四季節出版社の「青春の値段 大韓民国の青年たちの声」は、若者たちの低賃金と格差にあえぐ声(ここも課題が共通している)に言葉を失った。中国「商務印書館」は、ビジュアルを重視してシリーズ20万部を突破した「博物図書」についての報告、日本・集英社(落合氏)は「現役の老人を探しています」という企画案を披露した。

私の発表タイトルは、「出版・書店から知る戦後沖縄の社会変化」。かいつまむと、「沖縄の本屋さんは日本のなかでも珍しい歴史を歩んできた。現在調査中でまとまったら本にします」というもの。

その中で、本屋のない南北大東島で年に二回、行われている出張販売のことを話した。
販売の様子を撮った動画も上映した。
若いお母さんの喜ぶ顔、開店前から列をなして待っている子どもたちの様子—。

会場から、にわかに拍手が湧いた。
ちょっとだけ驚いた。沖縄という小さな出版界の話だ。こんな大きな場では共感を呼ばないだろうと思っていたからだ。

でも、私が韓国の若者の境遇に胸を痛めたように、博物図書の美しさに圧倒されたように、沖縄の子どもたちの「本が欲しい」という願いが、あの場に、共通する何かの感情をを浮かび上がらせたように見えた。(つづく)

(初出:2017年6月27日付「琉球新報」文化面
「東アジア出版人会議」に参加して〈上〉)


2017年7月27日木曜日

2017年、沖縄の本屋さんを調べています

コツコツと進めてきた沖縄の本屋さんの調査について、「おきぎんふるさと振興基金」の助成が受けられることになりました。 わーいわーい。

ブックパーリーOKINAWA実行委員会で申請を出したのです。

実行委員長の森本さん(ジュンク堂那覇店店長)が認証式に出席してくれました。ニュース・新聞などにも取り上げられたようです。

現場の本屋さんの毎日を知りたいと思ってブックンロールオキナワを開催し、そこから発展して、本屋さんの調査にたどりつきました。つまりわたしにとってはこの調査もブックンロールの一環です。

ブックパーリーの期間中には、その成果のひとつとして「かつてここには町の本屋さんがあった〜懐かし写真展」を各地を巡回して開催する予定です。 もろもろ決まったらまたお知らせします。