2019年9月5日木曜日

新聞コラム(その10)

未来をつくる

ことしも「沖縄県産本フェア」がやってくる。地元の出版社が集まって、ピカピカの新刊から、ほとんど市場に出回らないレア本までを一挙に並べる、年に一度のフェアである(6月15日から7月3日まで、リブロリウボウBC店)。

沖縄でつくられた地元密着の本。子どものころを振り返ってみると、クラスの片隅にあった学級文庫や、あまり人のいなかった学校図書館にもそれらは並んでいた。

カジキマグロが大きくジャンプする絵があしらわれた『魚が鳥を食った話』。佐敷のハンドバッグ幽霊なるものに衝撃を受けた『沖縄の怪談』。『あゝつしま丸』では、海で漂流するけいこちゃんの苦難に胸がつぶれそうになった。

中学のころには『コミックおきなわ』が大ブーム。「平松さん、エースって何ね?」「あいえなー」をオチにする投稿マンガに、いとこが描いたマンガが採用されて大騒ぎ―–。

そうやって夢中で読んできた本を、いまでは作る立場になったのだから、人生って分からない。

最近、ボーダーインクでも、イラストをふんだんに使った子ども向けの本に力を入れている。年中行事やイベントを紹介する『おきなわの一年』を皮切りに、食を通して沖縄の歴史と文化を伝える『おきなわが食べてきたもの』、てぃーち、たーちと数えながら沖縄の風物に触れることができる『うちなーぐち かぞえうた』の3冊を刊行した。

子どもたちに伝わるように作ったら、意外なことに「大人にとってもわかりやすい」として評判がいい。

また、「ふりがな付きで外国人でも読める」と、日本語学校から注文があったのには驚かされた。思いもよらないニーズがあるものだ。

いまも元気に営業している町の本屋さんと話していると、「子ども」というキーワードがよく登場する。たとえば小学校や中学校の近くに店を構えて、子どもが放課後にワイワイとやってくる本屋さん。親子連れを呼び込むために子ども向けイベントを熱心に開催する本屋さん。

学校に本を納入する本屋さんから「こんな沖縄の本が子どもは好きですよ」と具体的なアドバイスをもらうこともある。

沖縄は出版が元気だといわれるが、それは言い換えれば、地元で作られた本を読む人がたくさんいるということだ。出版社だけでも、本屋だけでもない。そこに読者がいてはじめて、沖縄の出版文化は存在できる。

5年生の娘に聞くと、今でも学校の図書館には『あゝつしま丸』や『魚が鳥を食った話』が置かれているそうだ。どちらも1980年代に沖縄の出版社から発行されたもの。これだけ息長く子どもたちの身近にあるなんて、なんだか心があたたかくなる。

子どもに本を届ける。それはわたしたち自身にとっても、未来への道筋をつくることなのだと思う。

沖縄で作られた本を手にした子どもたちが大きくなったときに、わたしと同じように懐かしんでくれるだろうか。沖縄に愛着を持ってくれるだろうか。

いつまでも、沖縄の出版が元気であることを願ってやまない。

(2019年6月8日沖縄タイムス3面)

新聞コラム(その9)

吹き込まれる命

「本屋」と「古本屋」―。どちらも本を売る商売である。

ところが一般的には商売がたきとされていて、県外から来た書店員が「古本屋と仲良くするなんて、ありえない」と断言したのに驚いたことがある。

しかし沖縄においては事情が違っていて、ライバルという関係性はありつつも仲がいい、のだそうだ。
はっきりした理由は分かっていないが、きっかけは米軍統治時代ではないかといわれている。

そのころの沖縄では日本との商売は貿易扱い。円とドルとの換算もあって手続きが複雑なために、売れ残った本があれば返品せずに書店がバーゲン本として売るなど独自に処分していた。さらに高くつく船賃などを捻出するために定価とは異なる価格での販売も行われていた。

のちには古本屋が出版に乗り出してみずから新刊を生み出したり、地元出版社が古本屋に新刊を置いてもらうといったことも日常的に行われるようになる。最近でも、新刊書店だったのが古本屋に業態をかえたり、古本屋がアンテナショップに新刊を納入するようなケースもあった。

つまり、「歴史的に新刊と古本との区別がつけられてこなかった」のであろう。

さて、沖縄の本屋さんと古本屋さんの「仲の良さ」を象徴するようなふたつのイベントが現在開催中である。

パレットくもじにある新刊書店「リブロ」では、6つの個性的な古本屋がそれぞれの得意ジャンルを持ち寄って販売する「リブロ古書フェス」が開かれている(27日まで)。

そしてもうひとつが、10周年を迎えた那覇のジュンク堂と、40周年を迎えた宜野湾の古本屋・榕樹書林とがタッグを組んだ大型フェアである(ジュンク堂那覇店で20日まで)。

そういえば、ある古本屋さんで頼まれてしばらく店番をしたことがある。客が来ないときに本棚の乱れを直したり、あっちの本をこっちに移動したりと、手を入れたとたんに本が売れていくのには驚いた。

「人生を変えた一冊の本」などというが、なにも変わるのは人間の側だけではない。紙に何かを刷ったり、文字や絵を描いたりして綴じれば「本」は完成するが、命が吹き込まれるのは、人がそれを手にしたときではないだろうか。

おしょうゆやジュースなどとは違って、同じ本をくりかえし何十回も買うという人は少ない。だけど、かじった食べ物を人にあげるわけにはいかなくても、本は減ったりすぐ腐ったりしないから、読み終わった本をあげたってかまわないし、ふたたび売り物として流通させることもできる。

店番をしていたブックストアでは、本が売れたスペースに次の一冊を並べれば、またそこから売れていった。「棚は生き物」「棚の新陳代謝」とは、まさしくその通りだと思った。

いろいろな形で世の中に出回って、その世界に触れる人が増えたとき。本は何度でも生まれ変わる。

ピカピカの本と、年季の入った本がともに並んでいる売り場には、土着的でおおらかな魅力がある。今日もたくさんの本たちが、命が吹き込まれるのを待っているはずだ。

(2019年5月11日沖縄タイムス3面)

新聞コラム(その8)

ある日、調べもので昔の新聞を見ていたら、ひとつの記事が目にとまった。

『乱売される有害ビデオ、図書 「夜型社会」助長の恐れ』と見出しのつけられた一九九一年の記事で、レンタルビデオ店や古本屋の成人向けコーナーを青少年保護団体が調査したという内容だ。

有害図書などを置かない店に優良店指定をしてみてはと提案があった―と記事は伝えている。

本屋さんに置くか置かないかで議論になる筆頭格といえばこうしたアダルト商品であるが、最近ではその問題が一般書にも及んで、さらに複雑になったように見える。

一例を挙げれば、有名人が逮捕されたときなどに巻き起こる著作物の回収騒ぎである。「販売中止は過剰ではないか」という反対意見も聞こえるようになってきて、議論の真っ最中といったところだ。

また、書店でいわゆる「ヘイト本」を売るかどうかのテーマもよく目にする。
さらに、ネットでアクセスして読む電子書籍においては、サイト側が販売中止とすればお金を払ったユーザーであっても一切読めなくなってしまうという新たな問題も起こっている。

ところで、沖縄の本はこうした「販売中止」とはあまり縁がないように見えるが、過去にさかのぼればこんな事例があるのをご存じだろうか。

一九六〇年十二月、「教師たちの職場を明るくし、教育の活力源として口ずさむ」ことのできる健全な歌集をつくろうと、『愛唱歌集』という本が出版された。

そのころの沖縄において、出版には米軍による許可が必要であったため、発行者は米国民政府へ許可を申請していたが、単に歌集にすぎないこともあり、許可を待たずに集会でそのまま配布を行った。

ところが六一年二月になって、米民政府は歌集の回収命令を出したのである。表向きには手続きの不備がとがめられてのことだが、収録された民族独立歌や労働歌が米軍を刺激したことは明白だった。

沖縄で起こったこの歴史的事実から分かるのは、権力は言葉を封じようとする、良し悪しの判断を他者に任せてはいけないというものだ。

もうひとつ、忘れてはいけない視点だと思うのが、時代の変化に伴う価値観の変容である。つまり、過去の価値観では当たり前だったものが、現代の感覚に照らせば不適当というケースや、逆に、かつては問題ありとされていたものが、現代ではとりたてて問題にならないケースである。あらゆるジャンルに事例はごまんとあるだろう。

当たり前のことだが一度作られた本は変化しない。受け取る人によって、時代によって、評価が異なっていくだけである。人間は過去を振り返りながら、その評価が誤りだったこと、新しい価値観が生まれていることに気付くのだ。

権力は言論を封じようとする。
人は間違うし、価値観は変容する。

ある本を売るべきか否かという難しいテーマを考えるとき、いつも肝に銘じたい視点である。

(2019年4月13日沖縄タイムス3面)

新聞コラム(その7)

門出の日に

ある日、新聞の折り込みチラシをめくっていたら、「卒業式に向けての協力願い」とする文書が挟み込まれていた。卒業式当日には校内への花束・プレゼントなどの持ち込みを遠慮してほしいという内容で、文書を出したのは地域の中学校である。

贈り物をもらえる人とそうでない人との間に不平等感が出るのを心配しているとのこと、ほかにも「改造制服」や「小麦粉かけ」「自転車暴走」といった記述もあって、学校側の苦労がしのばれる。

わたしは受験戦争・就職氷河期といわれる世代にあたる。県内の小さな町でのんびりと生まれ育ったので、厳しい受験そして就職戦線とも無縁のつもりでいたけれど、それでもずっと小さな不安を抱えて過ごしていた。

学年が上がっていくことは、すなわち「受験」や「進学」、「就職」に向けて一歩ずつ進んでいくこと。人に評価されるのも試験を受けるのも苦手だし、新しい環境にもなかなかなじめない性分なので、いまだに春になるとそわそわとした不安を覚えてしまう。

そんな自分だから、小麦粉かけはいただけないとは思うけれど、新しい門出において晴れがましさを堂々と発露している当の子どもたちが、どんな気持ちでいるのかは聞いてみたい気がする。

2年ほど前に『内地の歩き方』(吉戸三貴著、ボーダーインク)という本を編集した。「沖縄から県外に行くあなたが知っておきたい23のオキテ」というサブタイトルの通り、進学や就職のために旅立つ若い人へ向けて、新生活のノウハウを盛り込んだガイドブックである。

よく雑誌などでも新生活に向けたキャンペーン記事は見かけるが、この本は「沖縄から」というのがポイントだ。

「うちなータイム」などに代表される沖縄のゆるやかさと、県外のテキパキした人とのギャップ、口ベタな沖縄の若者に向けての雑談テクニックなども盛り込まれている。ガイド本の体裁を取っているけれど、沖縄と本土との異文化論としても面白く読めるのではないだろうか。

似たようなタイトルのトラベルガイド本もあるように、沖縄から本土に出るのには、まさに世界に行くほどの勇気が必要という若者もいる。若い人にとって新しい世界が心から楽しいと思える、その支えになるように作ったつもりだ。

教室から次の教室へ、ときには学校の外へ、沖縄の外へ、社会へと。わたし自身、次の環境に移っていく不安というものは何十年たっても忘れがたい。大人になってしまえばかわいい悩みなのかもしれないが、まさに今、その不安が頭をおおいつくしている人もいるだろう。

いまの子どもたちや若者にとって学校や社会が良いものだと、胸を張って言えるような時代ではなくなって、ネットでもリアルでも危機感をあおる言葉ばかりが目につくようになった。「厳しい時代に、自分の力で未来を切り開いて」なんて、簡単に言うこともできない。

それでも私は1人の大人として、そして自分自身も不安を抱えていた「元・子ども」として、門出の日には大きな希望を感じてほしい。

今日もまた、旅立ちを迎えるたくさんの子どもや若者たちがいる。進路や就職がどうであろうと、目の前には数多くの道がひらけている。その事実はとてもまぶしいものだ。

楽しい人生になることを心から願っている。

 (2019年3月9日沖縄タイムス3面)

新聞コラム(その6)

昨年12月、那覇市泉崎に新しい沖縄県立図書館がオープンした。3フロア分の巨大でおしゃれなスペースに80万冊を超える蔵書が収められていて、行くだけで心が浮き立つようだ。

よく知られたことだが、県立図書館の初代館長を務めたのは、「沖縄学の父」ともいわれた伊波普猷である。今からさかのぼること109年、明治43年の開館時に行われた演説が、『伊波普猷全集』(平凡社、全11巻)に残されている。

それによると、当時の収蔵書籍は4560冊で、40人を収容する一般閲覧室、34〜35人の児童室、8人の婦人室。さらに将来的には貸し出しも可能としたいこと、夜の時間帯にも開館したいことや、巡回図書館も実現したいこと—などが述べられ ている。

沖縄のブックスポット事情について、先日行われた本と音楽のイベント「ブッ クンロール」で、東京からのゲストがこんなことを語っていた。

「どこのお店や図書施設に行っても郷土の本が充実していて、しかもそういう 店・施設が近接する商圏内に複数あっても問題なく共存できている。地元の人にはそれが当たり前でぴんとこないかもしれないが、本にまつわるとてもいい世界が成立しているように思う」

沖縄は小さな島嶼県だから、もともと本屋がなかったり、時代の流れで消えてしまった地域が多い。そういった場所に新しい人がやってきて古書店をオープン させたり、あるいは図書館などの公共施設が「本のある場所」を一手に引き受けているケースも少なくない。

また、地元の本屋さんが、地元の出版社から本を仕入れて、地元の図書館に届けたりすることも日常的である。

全国的には、「図書館が貸し出しをすることで新刊書が売れなくなる」という理由でのトラブルもあるという。沖縄でもさまざまな内情はあるのかもしれないが、しかし私には、みなが垣根を越えて「本のともしび」を守り続けているよう に見えるのだ。

昭和21年、伊波普猷は、暮らしていた東京から「灰燼沖縄へ図書を!!出版界の義挙を懇請」とする手記を書いている。

当時の沖縄は戦争によって何もかもが失われていた。

「沖縄では紙も印刷機も無く辛うじて拾ひあつめた若干の活字で発行してゐる貧しい週刊新聞一紙を措いては読物皆無、その他新しい時代の息吹に触れるべき何等の読物もなく、(中略)識者層、青少年達はせめて読物だけでも送つて欲しいと、切実な希望を訴へて来て居るのであります」

「出版界の皆様の御同情に訴へ、新時代の要請に即して刊行された書籍雑誌類を郷里沖縄の人々に送り、精神的糧たらしめ、同時にその奮起を促す一助にしたいと念願いたして居ります」

それから1年足らずで伊波は病気のためにこの世を去った。
人生の最晩年に、沖縄へ書物を届けたいと願ったのだ。

那覇市寄宮にあった旧県立図書館での最終日に足を運んだことを思い出す。ラストコンサートとして弦楽カルテットの演奏会が行われ、集まった人々がそろって記念撮影が行われた。

スタッフや利用者たちに交じって、笑顔で最前列に並んで写真に収まったのは、たくさんの本好きの子どもたちだった。

本のともしびを、沖縄の未来を守ろうとする人は、いつの時代でも存在する。
本をとりまく状況が厳しくなった時にこそ、そのことを忘れずにいたいと思う。

(2019年2月9日沖縄タイムス3面)

新聞コラム(その5)


生まれ変わる本  

大ヒットしている作家の本に多数のコピペや問題箇所が見つかり、増刷のたびに内容の修正が続けられているというネットの記事を読んだ。版ごとにどこがどう直されたかを検証する人たちもいるという。

修正数があまりにも膨大だったり、論の根幹にかかわる部分まで大きく直してしまうならば信頼に関わるだろうが、増刷のときに誤りを直したり、新しく分かったことを追記したりして、中身をすこしずつ変えていくというのは、出版業界においては比較的よくあることだ。

本の見た目をがらりとリニューアルするのもよく行われている。たとえば本に巻かれている「帯」を変えること。ヒットしていることをアピールするために、増刷のたびに帯のフレーズを「たちまち増刷」「100万部突破」「映画化決定」などと新しくしていくのはその一例で、景気のいい言葉が並んでいると、本屋さんの売り場も華やいで見える。

ジャケット、つまり本をくるむカバーを丸ごと新しくしたり、さらには本のサイズまで変わってしまうこともある。単行本だったものを文庫として出したり、昔の本を再版したりするケースで、「新装版」などと呼ばれている。

すでに持っている本だと気付かずに買ってしまうこともあるが、逆に、ジャケットが魅力的に生まれ変わったことで、今まで気付かなかった本に出会えることもあるのだ。

もうすぐボーダーインクからも新装版として出される本がある。『おきなわ 野の薬草ガイド』という自然関係の本で、2012年に初版が発行されて以来、ずっと増刷を重ねてきたヒット作だ。

何を新しくしたかというと、全体のサイズを約120%に大きくしたのだ。文言や内容はまったく変えていない。小さな字が読みづらいシニア層へもアピールすることを狙った。

読者の希望に合わせてこんな対応ができるのも、本というメディアの面白さだ。CDやレコードならば、プレイヤーで再生するための規格がある。ところが本には決まった規格はないし、同じ本の見た目を変えてはいけないというルールもない。

もちろん本屋さんに並べやすいサイズとか、流通の時に便利なサイズがありはするものの、理屈の上でいえば、印刷できる範囲でどんなサイズでもどんな形でも作ることができる。

古本業界では、その本が「初版」であるかどうかをとても重要視するそうだ。同じ本でもこれだけの変化があって、しかも同じ時期に多数のバージョンが出回っているとなれば、何も手が加えられていない、なおかつ部数の少ないものが欲しいというコレクター心理も分かる気がする。

ジャケットが変わり、帯が変わり、サイズが変わっても同じ本であるということ。

「本」というものの「本質」は何か。作り手としては、そんなことを突き詰めて考えたくなる。

 (2018年12月8日沖縄タイムス3面)


新聞コラム(その4)


本と本屋にまつわるイベント「ブックパーリーOKINAWA」が終了した。ブックパーリーは2013年に「沖映通りえきまえ一箱古本市」から始まり、それから大小さまざまなブックイベントが加わって、いまでは中北部まで範囲が広がるなど、大きなにぎわいを見せている。

今年のイベントの目玉となったのが、「本を巡る冒険バスツアー」だ。本にまつわるスポットを回るのだが、とりわけ興味深かったのが市町村にある図書館だった。

それぞれの地の個性を大きく反映して、恩納村ではガラス張りの窓から西海岸の海が見えたし、沖縄市の図書館はもともと商業施設だった建物を活用してリニューアルされたばかり。グスクを模した美しい外観の中城。並んでいる本もそれぞれに違っていて飽きることがない。

わたしは、沖縄県内にあった本屋さんの足跡を探すことをライフワークにしている。その調べものにも、図書館は無くてはならない存在である。

町の本屋さんから必要な資料を借りられればいいのだが、そう簡単にはいかない。沖縄の本屋さんの数は198090年代頃にピークを迎えており、それからはずっと数を減らしている。この10年だけを見ても3割以上が姿を消してしまったので、店を営んでいた人に出会えることはまれだ。まず文献資料をあたる、つまりは図書館に頼らないといけない。

図書館にこもって新聞の縮刷版、市町村報、復帰前に米軍が発行していた雑誌、企業や官公庁のパンフレット。さらに、商工会の名簿や電話帳などを調べていく。

そして、何よりもわたしが重要視しているのが写真である。文字資料には誤りもあるが、写真に映っている要素にはそれがないからだ。ところが、写真に収めるには本屋は身近すぎて、町に本屋があふれていた時代でさえ、その姿をわざわざ写真に収めるようなことはない。もともと撮りたかったものの背景にさりげなく映っているのがほとんどだ。

だが、歴史的な瞬間を収めた背景に映り込んでいることも少なくない。

たとえば国際通りで行われたパレードに写り込む「安木屋」。アイゼンハワー大統領がオープンカーに乗っている久茂地の大通りと「文教図書」のビル、ガーブ川が氾濫して店が水没した「はなしろ書店」、「車は左」の看板が目の前にある「沖縄教販松尾店」……
図書館でみつけた一枚の写真にだって、これだけ沖縄の歴史が詰まっているのだ。

沖縄の図書館における郷土資料の充実ぶりは全国的にもまれなレベルで、県外から視察にやってくる関係者が引きも切らないという。

そんな郷土資料を活用して、自身や門中のルーツなどを調べている人も図書館ではひんぱんに見かける。沖縄の人のアイデンティティーを担保しているのが図書館だとは言い過ぎかもしれないが、そうした調査ができるだけの環境を、図書館という存在が守っているのは間違いのないことだ。

沖縄の歩んできた歴史を、その身に守り続ける図書館。静かな館内でページをめくるたびに、わたしはその幸せを思う。

(2018年11月10日沖縄タイムス3面)