2017年8月16日水曜日

韓国で沖縄の本屋さんのことを話してきた記録 その3

前回前々回の更新で、5月に行った「東アジア出版人会議」レポートを掲載しました。

そのときに発表した内容を以下に残しておきます。会場では、リブロの筒井さんがくれた動画を上映しました。南北大東での出張販売の様子を撮ったものです。

映像の途中で、にわかに拍手が起きたのには感動しました。

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『本屋の歴史を調べる』ということ 出版・書店から知る戦後沖縄の社会変化
喜納えりか(ボーダーインク)


第二次世界大戦後の沖縄における書店・出版の歴史はきわめて特殊な経過をたどっている。

太平洋戦争の末期、沖縄を「鉄の暴風」と呼ばれる地上戦が襲った。総戦没者は20万人超、住民の3人に一人が命を落としたと言われている。生活のほとんどが失われたに等しく、命をつなぐのがようやくで商業活動などままならない中において、本屋再興のきっかけとなったのは学校教育であった。

のちには日本製の教科書の配給が米軍からおこなわれるようになったが、現場の要望からはまるで外れたものでしかなく、学校現場からは「自らの手で、良い教科書や教材を選びたい」という声が高まっていく。教育の再建を目指し、「日本並み」の教科書を熱望する学校関係者らが、米軍や日本の版元との地道な交渉を経て、教科書の取次を行う書店を創立したのが、戦後の本屋復興の第一歩となった。

1952428日にサンフランシスコ講和条約が発効、日本はアメリカから独立を果たしたが、沖縄とその周辺諸島である奄美は日本から切り離されることになる。沖縄が日本国に戻るまでにはさらに27年を要した。余談であるが、タトル出版で知られるチャールズ・E・タトル氏は1953年、米軍占領下にあった沖縄に書店を構えており、現在でもその流れを汲む書店が沖縄市に現存している。

日本あるいは外国と沖縄との民間貿易が再開された1950年以降は書店の活動は本格化していくが、それまでの貿易統制の余波に加え、この頃の沖縄はドル経済であったために、ドル/円の交換レートの問題、輸送コストなど、常に不利益がつきまとった。

高度経済成長も東京オリンピックも大阪万博も、そこから派生した恩恵も、満身に受けることのなかった沖縄において、本という数少ない知的商材を、「新刊/古本」と区別することはあまりなかったとみえて、過去の雑誌や商工年鑑などをめくっていると、さらには地球儀も万年筆もネクタイも一緒に売っている本屋の広告がよく見つかる。

現在、沖縄では、宇田智子の「市場の古本屋ウララ」をはじめとする比較的若手の店主による古本屋がブームになっているが、このブームの地下水脈には、新刊書店と古本屋という区別がもともとゆるやかであったことや、沖縄独特の商習慣があると愚考している。

沖縄の各地にあった本屋は、新刊書・古書・地元出版社の本から洋書、子ども向け文具から舶来の高級文具まで、さまざまなものを市民に提供し、「文化教養の発信地」として町を彩ってきたのである。

沖縄では、米軍占領下時代のことを「アメリカ世」、1972年に日本に復帰した後を「ヤマトの世」と呼ぶ。「アメリカ世からヤマト世へ」の時代に入ると、日本全体の出版状況から受ける影響も如実になってきた。西日本を中心とする大手チェーン店が進出(80年代)、日本最大手書店の進出(2007年)などといったニュースの一方で、バブル経済の崩壊後における「出版不況」とも無縁ではなく、地場の書店は閉店が続き、苦境を強いられているのが現状である。

現在、日本はいわゆる「本が(以前ほどは)売れない時代」にあって、皮肉なことかもしれないが、かつてないほど本と本屋とに目が向いている時代でもある。『本屋図鑑』『本屋会議』(夏葉社)ほか、書店・古書店の店主らが書いた本も多数出版されているし、さらには県単位・地域単位で大規模なブックイベントも各地で開催されている。

沖縄も例外ではなく、書店・古書店・出版社らが事務局となって「ブックパーリーOKINAWA」というイベントを年に一回、開催している(4回目、今年は915日~115日)。

私も事務局の一員として運営に関わっているが、その活動において気付いたことがある。沖縄は人口に比して出版社および出版点数が多いといわれ、ときに「出版王国」という呼ばれ方もするし、沖縄の出版社について語られることは比較的多い。だがその実、出版と両輪を担っている書店についてはほとんど調査が行われておらず、まとまった資料等も存在しないのである。

このことに私は少なからず危機感を覚えた。アメリカ世からヤマト世へ、揺れ動きつづけた沖縄で、本の現場はどのように変遷してきたのか。それを知っている関係者も年々減少しており、現在、調査が行われなければ、その歴史の記憶が失われる可能性があるからだ。

今がおそらく、戦後最初期に書店経営に関わった人にインタビューできる最後の機会であろう。 

今年のブックパーリーOKINAWAでは、事務局によって沖縄の書店をめぐる歴史についての調査が行われ、その成果として収集した「沖縄の本屋」の写真展を行う予定である。書店文化は、その町の歴史、沖縄の歴史とは切っても切り離すことができない。

誰もかつて通ったことのある書店の記憶を、文化的財産として記録にとどめおくことの価値は言うまでもないが、沖縄の出版文化が本当の意味で総合的に拡大すると予想している。

戦後72年、そして復帰45周年を迎えた沖縄において、本と本屋をめぐる「新しい教養」が起こりうるとすれば、日本で起こった「本屋ブーム」と同様のものでは決してないだろう。

この調査および写真展は、のちにまとめ直して書籍として刊行する予定となっている。先にも述べたように、沖縄で本と本屋のことについてまとめた資料はきわめて少ない。調査手法としては、図書館で古い新聞や雑誌をめくり、商工年鑑や地図を調べ、写真のデータベースを一枚ずつ開いていく。書店経営者へインタビューを行うなど。地道で、手法としては決して新しいものではない。だが、誰もやってはこなかったことだ。

そして、調査結果を出版活動に還流させることが、沖縄で沖縄の本を作り続けている私たちにとっては重要なことだと考えている。

たとえば、沖縄に支店を置く全国チェーンの書店は、年に2回、沖縄本島から360キロ離れた2つの離島で出張販売を行っている。本屋のない島へ、本をコンテナ輸送し、スタッフを派遣して開かれるこの出張販売では、開店前から図書券を握りしめた子どもたちや、最新の雑誌を手に入れたい若い母親、本が好きなお年寄りまで、老若男女が行列を作って待っているという。
おそらく利益は度外視だ。なぜか。

それは冒頭で述べた、戦後の書店復興のさきがけとなった店に大きな関わりがある。

「沖縄の子どもに日本並みの書籍環境を」という理念によって、本屋のない離島にも本を届けたいと始められたこの出張販売が、同店が倒産したのちも、全国チェーンの店によって、理念とともに引き継がれた、ということだからだ。

「日本」になりゆく沖縄で、過去から今に至る道筋を丁寧に掘り起こしていくこと。それによって、また新たな角度から「沖縄」を見つめ直すことになる。
さらに、これまで何気なく付き合ってきた出版人や書店人みずからが、両者が果たしてきた「両輪」という役割を互いに再認識することにより、両者の立ち位置から、本と本屋の未来を見つめるよすがになりうる。

本というものが、地域に、人々に果たす役割とは何か。

それにひとつの答えを出すことが、沖縄で本を作り、本を売って生きている私たちの責務ではないかと考えている。


2017年8月3日木曜日

韓国で沖縄の本屋さんのことを話してきた記録 その2

前回の更新の続きとなる「韓国リポート」記事の下回です。


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東アジア出版人会議のために韓国を訪れた。

ソウルは大都市だ。片側四車線のまっすぐな道路と高層ビル、地下鉄やショッピングモール。ここが東京だと言われても違和感がないのは、東アジアにおける近代化が均質的ということかもしれない。

だけど大通りから一歩入ると、マチヤグヮーにそっくりな商店に出くわしたりする。

くねくねと路地を進んでたどりついた小さな市場。

肉や野菜、乾物に下着など、さまざまなお店が軒を連ねているところは、さながら牧志市場や農連市場みたいで、文化圏が同じということが腑に落ちるのだ。


韓国で訪れたかったのが、「坡州(パジュ)出版都市」だ。
48万坪の土地に出版社・印刷所・製本会社・デザイン事務所などが立ち並んでいる出版団地で、デザインが個性的な建物と豊かな自然が同居している。


ここに会社を構える「四季節出版」の姜マクシルさんが市内を案内してくださった。

パジュの中心となるアジア出版文化情報センター。
本にまつわる複合施設で、展示・情報サービス、本屋やブックカフェ、会議場なども備えている。

子どもたちが思い思いに本を読んでいる。高校生が自主イベントを開いている。未来は明るい。

 



観光で行った世界遺産のお城「水原華城」で見た、ほれぼれするような石積み。
街なかのハングルは読めないけれどずっと眺めていたくなる。

滞在しているあいだは韓国の皆さんがすべてをサポートしてくれて、困ることがひとつもなかった。
街も歴史も、人も美しい国だ。



東アジア出版人会議における「第六の地域」として沖縄が選ばれたのは、この会議が十周年を迎える記念大会の候補地として名が挙がったのがきっかけだという。ここに「独自の出版文化の伝統と蓄積がある」ことが重視されたそうだ。

そして昨年十一月にひらかれた沖縄大会は総勢80人、5日間の日程が、なみなみならぬ事務局のご尽力で成功裏に終了した。

さらに発展して、宜野湾市にある古書店「榕樹書林」の武石代表が、アジアの優れた出版文化に贈られる「パジュ・ブックアワード」特別賞に輝いた。武石氏はその後、交流のある沖縄研究者らとともに、韓国にある富川(プチョン)の図書館へ沖縄本を贈呈していて、それに韓国で出版されている沖縄関連本を加えた資料館「沖縄館」もまもなくオープンだ。

「沖縄の本を翻訳出版したい」という声も挙がっており、私が編集した沖縄の家庭料理本も翻訳されることが決まった。

東アジア出版人会議によって生まれたこのコラボレーションがさらに発展していくかどうか、良くも悪くも未知数だ。課題も多い。沖縄と社会問題は共通していても、出版分野においては違いのほうが大きいだろう。

だが、会議のなかで何度も語られた、こんな言葉を思い出すのだ。
「出版人は、公平で、かつ既存のものとは違った信念を提供しなければならない。そして異なった立場の者にも意見提供の機会をつくらなければならない」

世相に暗雲がたれこめる中において、とりわけ切実に聞こえた。
それぞれが信念を持って出版に取り組むこと。そして相手の語りに耳を傾けること。
まずは、そこから始まるのだ。
悲しい歴史によって途切れてしまった書物交流が、沖縄からもふたたび始まっていく。
その新しい歴史を思うと、胸が熱くなっていく。 

(初出:2017年6月28日付「琉球新報」文化面
「東アジア出版人会議」に参加して〈下〉)