2019年9月5日木曜日

新聞コラム(その10)

未来をつくる

ことしも「沖縄県産本フェア」がやってくる。地元の出版社が集まって、ピカピカの新刊から、ほとんど市場に出回らないレア本までを一挙に並べる、年に一度のフェアである(6月15日から7月3日まで、リブロリウボウBC店)。

沖縄でつくられた地元密着の本。子どものころを振り返ってみると、クラスの片隅にあった学級文庫や、あまり人のいなかった学校図書館にもそれらは並んでいた。

カジキマグロが大きくジャンプする絵があしらわれた『魚が鳥を食った話』。佐敷のハンドバッグ幽霊なるものに衝撃を受けた『沖縄の怪談』。『あゝつしま丸』では、海で漂流するけいこちゃんの苦難に胸がつぶれそうになった。

中学のころには『コミックおきなわ』が大ブーム。「平松さん、エースって何ね?」「あいえなー」をオチにする投稿マンガに、いとこが描いたマンガが採用されて大騒ぎ―–。

そうやって夢中で読んできた本を、いまでは作る立場になったのだから、人生って分からない。

最近、ボーダーインクでも、イラストをふんだんに使った子ども向けの本に力を入れている。年中行事やイベントを紹介する『おきなわの一年』を皮切りに、食を通して沖縄の歴史と文化を伝える『おきなわが食べてきたもの』、てぃーち、たーちと数えながら沖縄の風物に触れることができる『うちなーぐち かぞえうた』の3冊を刊行した。

子どもたちに伝わるように作ったら、意外なことに「大人にとってもわかりやすい」として評判がいい。

また、「ふりがな付きで外国人でも読める」と、日本語学校から注文があったのには驚かされた。思いもよらないニーズがあるものだ。

いまも元気に営業している町の本屋さんと話していると、「子ども」というキーワードがよく登場する。たとえば小学校や中学校の近くに店を構えて、子どもが放課後にワイワイとやってくる本屋さん。親子連れを呼び込むために子ども向けイベントを熱心に開催する本屋さん。

学校に本を納入する本屋さんから「こんな沖縄の本が子どもは好きですよ」と具体的なアドバイスをもらうこともある。

沖縄は出版が元気だといわれるが、それは言い換えれば、地元で作られた本を読む人がたくさんいるということだ。出版社だけでも、本屋だけでもない。そこに読者がいてはじめて、沖縄の出版文化は存在できる。

5年生の娘に聞くと、今でも学校の図書館には『あゝつしま丸』や『魚が鳥を食った話』が置かれているそうだ。どちらも1980年代に沖縄の出版社から発行されたもの。これだけ息長く子どもたちの身近にあるなんて、なんだか心があたたかくなる。

子どもに本を届ける。それはわたしたち自身にとっても、未来への道筋をつくることなのだと思う。

沖縄で作られた本を手にした子どもたちが大きくなったときに、わたしと同じように懐かしんでくれるだろうか。沖縄に愛着を持ってくれるだろうか。

いつまでも、沖縄の出版が元気であることを願ってやまない。

(2019年6月8日沖縄タイムス3面)

新聞コラム(その9)

吹き込まれる命

「本屋」と「古本屋」―。どちらも本を売る商売である。

ところが一般的には商売がたきとされていて、県外から来た書店員が「古本屋と仲良くするなんて、ありえない」と断言したのに驚いたことがある。

しかし沖縄においては事情が違っていて、ライバルという関係性はありつつも仲がいい、のだそうだ。
はっきりした理由は分かっていないが、きっかけは米軍統治時代ではないかといわれている。

そのころの沖縄では日本との商売は貿易扱い。円とドルとの換算もあって手続きが複雑なために、売れ残った本があれば返品せずに書店がバーゲン本として売るなど独自に処分していた。さらに高くつく船賃などを捻出するために定価とは異なる価格での販売も行われていた。

のちには古本屋が出版に乗り出してみずから新刊を生み出したり、地元出版社が古本屋に新刊を置いてもらうといったことも日常的に行われるようになる。最近でも、新刊書店だったのが古本屋に業態をかえたり、古本屋がアンテナショップに新刊を納入するようなケースもあった。

つまり、「歴史的に新刊と古本との区別がつけられてこなかった」のであろう。

さて、沖縄の本屋さんと古本屋さんの「仲の良さ」を象徴するようなふたつのイベントが現在開催中である。

パレットくもじにある新刊書店「リブロ」では、6つの個性的な古本屋がそれぞれの得意ジャンルを持ち寄って販売する「リブロ古書フェス」が開かれている(27日まで)。

そしてもうひとつが、10周年を迎えた那覇のジュンク堂と、40周年を迎えた宜野湾の古本屋・榕樹書林とがタッグを組んだ大型フェアである(ジュンク堂那覇店で20日まで)。

そういえば、ある古本屋さんで頼まれてしばらく店番をしたことがある。客が来ないときに本棚の乱れを直したり、あっちの本をこっちに移動したりと、手を入れたとたんに本が売れていくのには驚いた。

「人生を変えた一冊の本」などというが、なにも変わるのは人間の側だけではない。紙に何かを刷ったり、文字や絵を描いたりして綴じれば「本」は完成するが、命が吹き込まれるのは、人がそれを手にしたときではないだろうか。

おしょうゆやジュースなどとは違って、同じ本をくりかえし何十回も買うという人は少ない。だけど、かじった食べ物を人にあげるわけにはいかなくても、本は減ったりすぐ腐ったりしないから、読み終わった本をあげたってかまわないし、ふたたび売り物として流通させることもできる。

店番をしていたブックストアでは、本が売れたスペースに次の一冊を並べれば、またそこから売れていった。「棚は生き物」「棚の新陳代謝」とは、まさしくその通りだと思った。

いろいろな形で世の中に出回って、その世界に触れる人が増えたとき。本は何度でも生まれ変わる。

ピカピカの本と、年季の入った本がともに並んでいる売り場には、土着的でおおらかな魅力がある。今日もたくさんの本たちが、命が吹き込まれるのを待っているはずだ。

(2019年5月11日沖縄タイムス3面)

新聞コラム(その8)

ある日、調べもので昔の新聞を見ていたら、ひとつの記事が目にとまった。

『乱売される有害ビデオ、図書 「夜型社会」助長の恐れ』と見出しのつけられた一九九一年の記事で、レンタルビデオ店や古本屋の成人向けコーナーを青少年保護団体が調査したという内容だ。

有害図書などを置かない店に優良店指定をしてみてはと提案があった―と記事は伝えている。

本屋さんに置くか置かないかで議論になる筆頭格といえばこうしたアダルト商品であるが、最近ではその問題が一般書にも及んで、さらに複雑になったように見える。

一例を挙げれば、有名人が逮捕されたときなどに巻き起こる著作物の回収騒ぎである。「販売中止は過剰ではないか」という反対意見も聞こえるようになってきて、議論の真っ最中といったところだ。

また、書店でいわゆる「ヘイト本」を売るかどうかのテーマもよく目にする。
さらに、ネットでアクセスして読む電子書籍においては、サイト側が販売中止とすればお金を払ったユーザーであっても一切読めなくなってしまうという新たな問題も起こっている。

ところで、沖縄の本はこうした「販売中止」とはあまり縁がないように見えるが、過去にさかのぼればこんな事例があるのをご存じだろうか。

一九六〇年十二月、「教師たちの職場を明るくし、教育の活力源として口ずさむ」ことのできる健全な歌集をつくろうと、『愛唱歌集』という本が出版された。

そのころの沖縄において、出版には米軍による許可が必要であったため、発行者は米国民政府へ許可を申請していたが、単に歌集にすぎないこともあり、許可を待たずに集会でそのまま配布を行った。

ところが六一年二月になって、米民政府は歌集の回収命令を出したのである。表向きには手続きの不備がとがめられてのことだが、収録された民族独立歌や労働歌が米軍を刺激したことは明白だった。

沖縄で起こったこの歴史的事実から分かるのは、権力は言葉を封じようとする、良し悪しの判断を他者に任せてはいけないというものだ。

もうひとつ、忘れてはいけない視点だと思うのが、時代の変化に伴う価値観の変容である。つまり、過去の価値観では当たり前だったものが、現代の感覚に照らせば不適当というケースや、逆に、かつては問題ありとされていたものが、現代ではとりたてて問題にならないケースである。あらゆるジャンルに事例はごまんとあるだろう。

当たり前のことだが一度作られた本は変化しない。受け取る人によって、時代によって、評価が異なっていくだけである。人間は過去を振り返りながら、その評価が誤りだったこと、新しい価値観が生まれていることに気付くのだ。

権力は言論を封じようとする。
人は間違うし、価値観は変容する。

ある本を売るべきか否かという難しいテーマを考えるとき、いつも肝に銘じたい視点である。

(2019年4月13日沖縄タイムス3面)

新聞コラム(その7)

門出の日に

ある日、新聞の折り込みチラシをめくっていたら、「卒業式に向けての協力願い」とする文書が挟み込まれていた。卒業式当日には校内への花束・プレゼントなどの持ち込みを遠慮してほしいという内容で、文書を出したのは地域の中学校である。

贈り物をもらえる人とそうでない人との間に不平等感が出るのを心配しているとのこと、ほかにも「改造制服」や「小麦粉かけ」「自転車暴走」といった記述もあって、学校側の苦労がしのばれる。

わたしは受験戦争・就職氷河期といわれる世代にあたる。県内の小さな町でのんびりと生まれ育ったので、厳しい受験そして就職戦線とも無縁のつもりでいたけれど、それでもずっと小さな不安を抱えて過ごしていた。

学年が上がっていくことは、すなわち「受験」や「進学」、「就職」に向けて一歩ずつ進んでいくこと。人に評価されるのも試験を受けるのも苦手だし、新しい環境にもなかなかなじめない性分なので、いまだに春になるとそわそわとした不安を覚えてしまう。

そんな自分だから、小麦粉かけはいただけないとは思うけれど、新しい門出において晴れがましさを堂々と発露している当の子どもたちが、どんな気持ちでいるのかは聞いてみたい気がする。

2年ほど前に『内地の歩き方』(吉戸三貴著、ボーダーインク)という本を編集した。「沖縄から県外に行くあなたが知っておきたい23のオキテ」というサブタイトルの通り、進学や就職のために旅立つ若い人へ向けて、新生活のノウハウを盛り込んだガイドブックである。

よく雑誌などでも新生活に向けたキャンペーン記事は見かけるが、この本は「沖縄から」というのがポイントだ。

「うちなータイム」などに代表される沖縄のゆるやかさと、県外のテキパキした人とのギャップ、口ベタな沖縄の若者に向けての雑談テクニックなども盛り込まれている。ガイド本の体裁を取っているけれど、沖縄と本土との異文化論としても面白く読めるのではないだろうか。

似たようなタイトルのトラベルガイド本もあるように、沖縄から本土に出るのには、まさに世界に行くほどの勇気が必要という若者もいる。若い人にとって新しい世界が心から楽しいと思える、その支えになるように作ったつもりだ。

教室から次の教室へ、ときには学校の外へ、沖縄の外へ、社会へと。わたし自身、次の環境に移っていく不安というものは何十年たっても忘れがたい。大人になってしまえばかわいい悩みなのかもしれないが、まさに今、その不安が頭をおおいつくしている人もいるだろう。

いまの子どもたちや若者にとって学校や社会が良いものだと、胸を張って言えるような時代ではなくなって、ネットでもリアルでも危機感をあおる言葉ばかりが目につくようになった。「厳しい時代に、自分の力で未来を切り開いて」なんて、簡単に言うこともできない。

それでも私は1人の大人として、そして自分自身も不安を抱えていた「元・子ども」として、門出の日には大きな希望を感じてほしい。

今日もまた、旅立ちを迎えるたくさんの子どもや若者たちがいる。進路や就職がどうであろうと、目の前には数多くの道がひらけている。その事実はとてもまぶしいものだ。

楽しい人生になることを心から願っている。

 (2019年3月9日沖縄タイムス3面)

新聞コラム(その6)

昨年12月、那覇市泉崎に新しい沖縄県立図書館がオープンした。3フロア分の巨大でおしゃれなスペースに80万冊を超える蔵書が収められていて、行くだけで心が浮き立つようだ。

よく知られたことだが、県立図書館の初代館長を務めたのは、「沖縄学の父」ともいわれた伊波普猷である。今からさかのぼること109年、明治43年の開館時に行われた演説が、『伊波普猷全集』(平凡社、全11巻)に残されている。

それによると、当時の収蔵書籍は4560冊で、40人を収容する一般閲覧室、34〜35人の児童室、8人の婦人室。さらに将来的には貸し出しも可能としたいこと、夜の時間帯にも開館したいことや、巡回図書館も実現したいこと—などが述べられ ている。

沖縄のブックスポット事情について、先日行われた本と音楽のイベント「ブッ クンロール」で、東京からのゲストがこんなことを語っていた。

「どこのお店や図書施設に行っても郷土の本が充実していて、しかもそういう 店・施設が近接する商圏内に複数あっても問題なく共存できている。地元の人にはそれが当たり前でぴんとこないかもしれないが、本にまつわるとてもいい世界が成立しているように思う」

沖縄は小さな島嶼県だから、もともと本屋がなかったり、時代の流れで消えてしまった地域が多い。そういった場所に新しい人がやってきて古書店をオープン させたり、あるいは図書館などの公共施設が「本のある場所」を一手に引き受けているケースも少なくない。

また、地元の本屋さんが、地元の出版社から本を仕入れて、地元の図書館に届けたりすることも日常的である。

全国的には、「図書館が貸し出しをすることで新刊書が売れなくなる」という理由でのトラブルもあるという。沖縄でもさまざまな内情はあるのかもしれないが、しかし私には、みなが垣根を越えて「本のともしび」を守り続けているよう に見えるのだ。

昭和21年、伊波普猷は、暮らしていた東京から「灰燼沖縄へ図書を!!出版界の義挙を懇請」とする手記を書いている。

当時の沖縄は戦争によって何もかもが失われていた。

「沖縄では紙も印刷機も無く辛うじて拾ひあつめた若干の活字で発行してゐる貧しい週刊新聞一紙を措いては読物皆無、その他新しい時代の息吹に触れるべき何等の読物もなく、(中略)識者層、青少年達はせめて読物だけでも送つて欲しいと、切実な希望を訴へて来て居るのであります」

「出版界の皆様の御同情に訴へ、新時代の要請に即して刊行された書籍雑誌類を郷里沖縄の人々に送り、精神的糧たらしめ、同時にその奮起を促す一助にしたいと念願いたして居ります」

それから1年足らずで伊波は病気のためにこの世を去った。
人生の最晩年に、沖縄へ書物を届けたいと願ったのだ。

那覇市寄宮にあった旧県立図書館での最終日に足を運んだことを思い出す。ラストコンサートとして弦楽カルテットの演奏会が行われ、集まった人々がそろって記念撮影が行われた。

スタッフや利用者たちに交じって、笑顔で最前列に並んで写真に収まったのは、たくさんの本好きの子どもたちだった。

本のともしびを、沖縄の未来を守ろうとする人は、いつの時代でも存在する。
本をとりまく状況が厳しくなった時にこそ、そのことを忘れずにいたいと思う。

(2019年2月9日沖縄タイムス3面)

新聞コラム(その5)


生まれ変わる本  

大ヒットしている作家の本に多数のコピペや問題箇所が見つかり、増刷のたびに内容の修正が続けられているというネットの記事を読んだ。版ごとにどこがどう直されたかを検証する人たちもいるという。

修正数があまりにも膨大だったり、論の根幹にかかわる部分まで大きく直してしまうならば信頼に関わるだろうが、増刷のときに誤りを直したり、新しく分かったことを追記したりして、中身をすこしずつ変えていくというのは、出版業界においては比較的よくあることだ。

本の見た目をがらりとリニューアルするのもよく行われている。たとえば本に巻かれている「帯」を変えること。ヒットしていることをアピールするために、増刷のたびに帯のフレーズを「たちまち増刷」「100万部突破」「映画化決定」などと新しくしていくのはその一例で、景気のいい言葉が並んでいると、本屋さんの売り場も華やいで見える。

ジャケット、つまり本をくるむカバーを丸ごと新しくしたり、さらには本のサイズまで変わってしまうこともある。単行本だったものを文庫として出したり、昔の本を再版したりするケースで、「新装版」などと呼ばれている。

すでに持っている本だと気付かずに買ってしまうこともあるが、逆に、ジャケットが魅力的に生まれ変わったことで、今まで気付かなかった本に出会えることもあるのだ。

もうすぐボーダーインクからも新装版として出される本がある。『おきなわ 野の薬草ガイド』という自然関係の本で、2012年に初版が発行されて以来、ずっと増刷を重ねてきたヒット作だ。

何を新しくしたかというと、全体のサイズを約120%に大きくしたのだ。文言や内容はまったく変えていない。小さな字が読みづらいシニア層へもアピールすることを狙った。

読者の希望に合わせてこんな対応ができるのも、本というメディアの面白さだ。CDやレコードならば、プレイヤーで再生するための規格がある。ところが本には決まった規格はないし、同じ本の見た目を変えてはいけないというルールもない。

もちろん本屋さんに並べやすいサイズとか、流通の時に便利なサイズがありはするものの、理屈の上でいえば、印刷できる範囲でどんなサイズでもどんな形でも作ることができる。

古本業界では、その本が「初版」であるかどうかをとても重要視するそうだ。同じ本でもこれだけの変化があって、しかも同じ時期に多数のバージョンが出回っているとなれば、何も手が加えられていない、なおかつ部数の少ないものが欲しいというコレクター心理も分かる気がする。

ジャケットが変わり、帯が変わり、サイズが変わっても同じ本であるということ。

「本」というものの「本質」は何か。作り手としては、そんなことを突き詰めて考えたくなる。

 (2018年12月8日沖縄タイムス3面)


新聞コラム(その4)


本と本屋にまつわるイベント「ブックパーリーOKINAWA」が終了した。ブックパーリーは2013年に「沖映通りえきまえ一箱古本市」から始まり、それから大小さまざまなブックイベントが加わって、いまでは中北部まで範囲が広がるなど、大きなにぎわいを見せている。

今年のイベントの目玉となったのが、「本を巡る冒険バスツアー」だ。本にまつわるスポットを回るのだが、とりわけ興味深かったのが市町村にある図書館だった。

それぞれの地の個性を大きく反映して、恩納村ではガラス張りの窓から西海岸の海が見えたし、沖縄市の図書館はもともと商業施設だった建物を活用してリニューアルされたばかり。グスクを模した美しい外観の中城。並んでいる本もそれぞれに違っていて飽きることがない。

わたしは、沖縄県内にあった本屋さんの足跡を探すことをライフワークにしている。その調べものにも、図書館は無くてはならない存在である。

町の本屋さんから必要な資料を借りられればいいのだが、そう簡単にはいかない。沖縄の本屋さんの数は198090年代頃にピークを迎えており、それからはずっと数を減らしている。この10年だけを見ても3割以上が姿を消してしまったので、店を営んでいた人に出会えることはまれだ。まず文献資料をあたる、つまりは図書館に頼らないといけない。

図書館にこもって新聞の縮刷版、市町村報、復帰前に米軍が発行していた雑誌、企業や官公庁のパンフレット。さらに、商工会の名簿や電話帳などを調べていく。

そして、何よりもわたしが重要視しているのが写真である。文字資料には誤りもあるが、写真に映っている要素にはそれがないからだ。ところが、写真に収めるには本屋は身近すぎて、町に本屋があふれていた時代でさえ、その姿をわざわざ写真に収めるようなことはない。もともと撮りたかったものの背景にさりげなく映っているのがほとんどだ。

だが、歴史的な瞬間を収めた背景に映り込んでいることも少なくない。

たとえば国際通りで行われたパレードに写り込む「安木屋」。アイゼンハワー大統領がオープンカーに乗っている久茂地の大通りと「文教図書」のビル、ガーブ川が氾濫して店が水没した「はなしろ書店」、「車は左」の看板が目の前にある「沖縄教販松尾店」……
図書館でみつけた一枚の写真にだって、これだけ沖縄の歴史が詰まっているのだ。

沖縄の図書館における郷土資料の充実ぶりは全国的にもまれなレベルで、県外から視察にやってくる関係者が引きも切らないという。

そんな郷土資料を活用して、自身や門中のルーツなどを調べている人も図書館ではひんぱんに見かける。沖縄の人のアイデンティティーを担保しているのが図書館だとは言い過ぎかもしれないが、そうした調査ができるだけの環境を、図書館という存在が守っているのは間違いのないことだ。

沖縄の歩んできた歴史を、その身に守り続ける図書館。静かな館内でページをめくるたびに、わたしはその幸せを思う。

(2018年11月10日沖縄タイムス3面)

新聞コラム(その3)

わたしたち沖縄の出版社では、自分たちで作る本を「県産本」と呼んでいる。その多くが沖縄で購入されているから、そうなれば作るときもおのずと地元に目線を向けたものになるし、売れる場所が限定的になって部数も多いとはいえない。

「もっと外に打って出ればいいのに」「外に出たって売れないよ」なんて口さがない声が聞こえてきて、むっとすることも納得することも、よくある。

だけど、地域も部数も限られていることがメリットというケースもあるのだそうだ。 わたしは出版社の人だから、本がたくさん売れればそれに越したことはない。だけど、古本屋さんでは事情が違っている。どういうことかというと、古本の世界では、手に入りにくいものの方が希少だとして価値が上がるのだ。日本の中心地から離れた沖縄という場所で、部数は少なく、流通も限られた県産本を手に入れられることが、沖縄の古本屋さんにとってメリットになっているという。

へぇ、そうか、と思った。
もちろん、出版社にとってもメリットは大きい。本屋さんが減りつつあるなかで、県産本を積極的に仕入れて売ってくれる店はとても大切な存在だ。「沖縄では本の業界の仲がいい」とはよく言われるが、それも当然のことだろう。わたしたちはゆるやかにつながりながら、本という血液をめぐらせて生きているようなものだ。

ある日、こんなことがあった。小学生の娘を学校へお迎えに行ったら、娘にいつもの元気がない。車に乗ってきて、泣きはらした目のまま黙り込んでいる。様子をうかがうと、どうも友達とけんかをしてきたらしい。どうしたもんかなと少し考えて、そのまま本屋さんへ連れて行くことにした。

知人が経営している小さなブックストア。娘はなんとなく店をぶらぶらしながら棚を眺めていたが、そのうち気になった本をめくるようになり、そっとベンチに腰をかけて読み始めた。

おうちや仕事場ではない、「第三の居場所」―。そんな話題を目にすることが増えてきた。それはサードプレイスなどと呼ばれていて、大人ならたとえばカフェだったり趣味の場だったりするのだろう。

でも子どもだとどうか。カフェに行くようなお金を持っている子は少ないだろうし、やたらに口を出されず、なによりも安心して過ごせるような、子どもにとっての「第三の居場所」、それは、本屋さんや図書館という「本のある場所」じゃないかと思う。

長いこと座り読みをしていた娘は、地元の新聞社が発行しているマンガ本を買った。気のいいお店の人とおしゃべりをして、帰り道は二人で笑いながら帰った。

これからも、めそめそしたいとき、元気がないときは、本屋さんに行けばいい。

誰かが作った本が、ある場所では誰かを生かし、ある場所では誰かをいやしながら、人と人とが有機的につながっていく。沖縄という小さな島々でそういう巡りがあることに、私は心から安らぎを覚えるのだ。

(2019年9月8日沖縄タイムス3面)



新聞コラム(その2)


季節をイメージさせる色というものがある。
例を挙げれば、春のころは淡いピンク。夏といえば青い空と青い海。秋には枯れ葉を思い出させるブラウン。冬はスノーホワイト。そんな漠然とした、でも強いイメージはないだろうか。
 
なぜこんなことを書いているかというと、最近、『おきなわの一年』という本を出したからだ。

季節のうつりかわり、盆正月やシーミーなどの年中行事に、ムラアシビなどのまつり、しまくとぅばの日やゴーヤーの日といった記念日、時季ごとの食べ物。そんな解説文をボーダーインク編集部が執筆して、イラストレーター、やのわたこさんが絵をつけている。

デザインや編集において季節を表そうというとき、一番手っ取り早いのは、季節をイメージさせる色を使うことだ。

この本もはじめはそうだった。ページや見出しなどに、春はピンク、秋はブラウンの色をつけて…と思い立って、すぐに小さな違和感が生まれた。本当にそうだろうか?
 
一般的には春の花だと思われているサクラだが、ここ沖縄では新年の頃に鮮やかな花を咲かせる。春には、燃えるように真っ赤なデイゴ。4月にはもう暑くなるけれど、夏場は意外なことに極端な高温にはならない。でも12月になっても気温は20度くらいで、雪のクリスマスには縁遠い…。
 
ここは、踏ん張りたいと思った。

沖縄の出版社が作る本を「県産本」という。この県産本においてベストセラーになりやすいのが、実用書のジャンルだ。

これには本土との差異が背景にあるといわれている。例えば、育つ植物が違うから野菜や園芸本でも独自のものが必要になる。すでに本土では行われなくなった年中行事も根強く残っていて、そのためのマニュアル本も多数出版されている。

中国やアメリカとの関係など、歴史の面でも日本とは大きく異なっており、琉球・沖縄史や現代史といえども実用書のように扱われていてヒット作も多い。

県産本がこうして地元密着になっている理由は、「必要とされているから」である。沖縄らしさとは、何も理念だけのことではない。

いわゆる四季だって沖縄にそのまま当てはめることはできないし、もっといえば「沖縄には季節がない」という言い方だって極端だ。ここに暮らしていると分かるけれど、季節の移り変わりはまぎれもなく存在する。「沖縄の冬は寒い」と言うと笑われることもあるが、たくさんの人が共感してくれるだろう。

そうやって苦心しながら、自分の中のイメージを何度も更新しながら、『おきなわの一年』は形になった。

こことどこかの違い、自分とだれかとの違い。当たり前に見えるものが大きな違いをはらんでいることだってある。本作りの難しさも面白みも、そこにあるのだと思う。

(2018年8月11日沖縄タイムス3面)



新聞コラム(その1)


2018年7月〜2019年6月に沖縄タイムス「うちなぁ見聞録」でコラムを書きました(全12回)。ほとんどが沖縄と本の話題です。必要があるか分かりませんが、備忘のために転載しておきます。
すでにこのブログに掲載済みの分もありますが、誌面掲載日を記して再掲します。
本に関係のない話題がありましたので、そちらは割愛しました。

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本の世界で、沖縄と韓国がつながりを生みつつあることをご存じだろうか。

東アジアの各国は20世紀、さまざまな紛争や混乱に見舞われ、それまで各地を結んでいた書物による交流は断絶された。その交流を立て直すために、日本の編集者3人が呼びかけ人になって発足したのが「東アジア出版人会議」だ。中国・韓国・台湾・香港・日本に加えて、そこに沖縄も第六の地域として参加したのである。

まだ新参なのだが、この交流をきっかけにいくつかの本が翻訳を果たしており、わたしが編集を手がけた『おうちでうちなーごはん!』(絵と文・はやかわゆきこ)もそのひとつだ。韓国ではじめて、沖縄の料理本が出たということになる。

韓国と沖縄の文化はよく似ている。豚肉や青々とした野菜がずらりと並ぶ韓国の市場のようすは那覇のマチグヮーそっくりだし、小銭をにぎりしめて商店へ駆け込む子どもたちの姿だって、沖縄でよく見かける光景そのものだ。

さらに、今年の9月には「沖縄文化センター」が富川(プチョン)の図書館にオープンする予定だ。プチョンは国際映画祭やマンガサミットなどもひらかれる映像文化の発信地で、そこへ沖縄から本が寄贈されるとともに、沖縄県立図書館との相互交流なども行われ、沖縄を発信する拠点になることが期待されている。

これらの取り組みの中心になっている「東アジア出版人会議」と深いかかわりを持つのが、韓国の坡州(パジュ)という街だ。アジア有数の出版都市といわれ、書店や出版社、印刷所などが立ち並び、さらに軍事境界線をはさんで北朝鮮と隣接している。

一年前にパジュを訪れたときに見た、近代的な街並みに鉄条網が不似合いに巻きついていた景色を忘れられない。朝鮮戦争が起こったあとにも南北では互いの書籍の輸出入や出版が細々と行われていたが、それもいつしか途絶えてしまったそうだ。

4月、南北の歴史的な会談が行われたというニュースをテレビで見ながら、わたしはパジュの景色を思い出していた。あの鉄条網が取り除かれ、ふたたび書物での交流が取り戻されることを願った。

本にはたくさんのものが宿っている。歴史や文化、思想、アートや音楽、言葉や食べ物など、人々のあらゆる営みが写し取られた本は、距離も時間も超えていくし、ときには争いの歴史をも乗り越えていくはずだ。

同じように、プチョンにおくられた本たちや翻訳された本を読んで、はじめて沖縄を知る人もいるだろう。ハングルに訳された『おうちでうちなーごはん!』を参考にして豚肉や野菜を買い、夕食の支度をする人もいるだろう。 

新しく始まる歴史と、そこから生まれる人々の豊かな営み。わたしが手がけた一冊の本がすこしでも役に立つならば、こんなに幸せなことはない。

(2018年7月12日沖縄タイムス3面)



沖縄タイムスWeb版コラムのリンク

沖縄タイムスのウェブ版に、沖縄と出版と本のことについてコラムをいくつか書いていました(2013年〜2016年)。自分の調べもののために検索したのですがヒットしなかったので、「しおり」代わりのリンクを置いておきます。

沖縄県産本は県外で売れるか?
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50385

大手サイトに載らなければ「消える」? 
本とインターネットをめぐる地方・小出版社のささやかな願い
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50379

<紙の本>の編集者が読み解く「電子書籍と紙の書籍のこれから」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50367

〈地方の電子書籍〉について考えて、たどり着いたごく当たり前の結論
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50354

足元を掘る「県産本」の営み~脈々と引き継がれ、各地に広がるネットワーク~
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50335

[おばぁタイムス書評]身近な日々いとおしく
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50332

沖縄と隣り合う<新しい沖縄>―最近、たくさんの「すごい」写真を見て思ったこと―
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50321

本とライブの「ブックンロール2014~それでも『本屋』で、生きていく~」へ行ってきました
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50315

出版社として、客として、沖縄で思う「町の本屋さん」のこと(上)
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50201

出版社として、客として、沖縄で思う「町の本屋さん」のこと(下)
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50199

<本のある風景>が戻る日 ~市場の本屋さん雑記~
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50161

「読書会」で本を読むことの意味、語りの意味を考えた
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50135

沖縄と本との関係は、いつでもすこし特殊だった
~戦後沖縄における県産本のあゆみ・沖縄県産本ネットワークの資料から(1)~
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50101

民衆の声が風穴を開けた1960年代
〜戦後沖縄における県産本のあゆみ(2)~
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50097

1970年代、帰った「祖国」はモーレツだった
〜戦後沖縄における県産本のあゆみ(3)~
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50090

充実期の1980年代、おきなわキーワードコラムブックと沖縄大百科事典
~戦後沖縄における県産本のあゆみ(4)~
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50088

復帰20年、戦後50年の節目を迎えた1990年代、沖縄はポップで政治的だった
〜戦後沖縄における県産本のあゆみ(5)~
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50081

沖縄ブームが巻き起こった2000年代、新世代出版社とヤマト発「沖縄本」の台頭
~戦後沖縄における県産本のあゆみ(6)~
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50075

激動のただ中にある2010年代、揺らぐ足元は、どこへ着地するのか
~戦後沖縄における県産本のあゆみ(7)~
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50068

那覇の市場でお留守番 ウララの店先でマンホールを眺めながら考えたこと
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50012

部屋と押し入れと私
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50011


2019年2月28日木曜日

ブックンロール2019に関連して書いた文章(その3)

ブックンロールオキナワ2019に関して書いたコラムをこちらに順次掲載していきます。
その1はこちら
その2はこちら

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「沖縄学の父」の願い
(初出:2019年1月12日 沖縄タイムス3面「うちなぁ見聞録」)

昨年12月、那覇市泉崎に新しい沖縄県立図書館がオープンした。3フロア分の巨大でおしゃれなスペースに80万冊を超える蔵書が収められていて、行くだけで心が浮き立つようだ。

よく知られたことだが、県立図書館の初代館長を務めたのは、「沖縄学の父」ともいわれた伊波普猷である。今からさかのぼること109年、1910年の開館時に行われた演説が、『伊波普猷全集』(平凡社、全11巻)に残されている。

それによると、当時の収蔵書籍は4560冊で、40人を収容する一般閲覧室、34〜35人が入れる児童室、8人の婦人室。さらに将来的には貸し出しも可能としたいこと、夜の時間帯にも開館したいことや、巡回図書館も実現したいこと—などが述べられている。

沖縄のブックスポット事情について、先日行われた本と音楽のイベント「ブックンロール」で、東京からのゲストがこんなことを語っていた。

「どこのお店や図書施設に行っても郷土の本が充実していて、しかもそういう店・施設が近接する商圏内に複数あっても問題なく共存できている。地元の人にはそれが当たり前でぴんとこないかもしれないが、とてもいい本事情が成立しているように思う」

沖縄は小さな島嶼県だから、もともと本屋がなかったり、時代の流れで消えてしまった地域が多い。そういった場所に新しい人がやってきて古書店をオープンさせたり、あるいは図書館などの公共施設が「本のある場所」を一手に引き受けているケースも少なくない。

また、地元の本屋さんが、地元の出版社から本を仕入れて、地元の図書館に届けたりすることも日常的である。

全国的には、「図書館が貸し出しをすることで新刊書が売れなくなる」という理由でのトラブルもあるという。沖縄でもさまざまな内情はあるかもしれないが、私には、みなが垣根を越えて「本のともしび」を守り続けているように見えるのだ。

1946年、伊波普猷は、暮らしていた東京から「灰燼沖縄へ図書を!! 出版界の義挙を懇請」とする手記を書いている。

当時の沖縄は戦争によって何もかもが失われていた。

「沖縄では紙も印刷機も無く辛うじて拾ひあつめた若干の活字で発行してゐる貧しい週刊新聞一紙を措いては読物皆無、その他新しい時代の息吹に触れるべき何等の読物もなく、(中略)識者層、青少年達はせめて読物だけでも送つて欲しいと、切実な希望を訴へて来て居るのであります」

「出版界の皆様の御同情に訴へ、新時代の要請に即して刊行された書籍雑誌類を郷里沖縄の人々に送り、精神的糧たらしめ、同時にその奮起を促す一助にしたいと念願いたして居ります」

それから1年足らずで伊波は病気のためにこの世を去った。
人生の最晩年に、沖縄へ書物を届けたいと願ったのだ。

那覇市寄宮にあった旧県立図書館での最終日に足を運んだことを思い出す。ラストコンサートとして弦楽カルテットの演奏会が行われ、集まった人々がそろって記念撮影が行われた。スタッフや利用者たちに交じって、笑顔で最前列に並んで写真に収まったのは、たくさんの本好きの子どもたちだった。

本のともしびを、沖縄の未来を守ろうとする人は、いつの時代でも存在する。
本をとりまく状況が厳しくなった時にこそ、そのことを忘れずにいたいと思う。
(喜納えりか・ボーダーインク編集者)



2019年2月22日金曜日

ブックンロール2019に関連して書いた文章(その2)

ブックンロールオキナワ2019に関して、新聞でコラムを3本書きました。
せっかくなので順次こちらのブログに掲載します。

その1はこちら

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本の巡る場所(初出:2018年11月10日 沖縄タイムス3面「うちなぁ見聞録」)

わたしたち沖縄の出版社では、自分たちで作る本を「県産本」と呼んでいる。その多くが沖縄で購入されているから、そうなれば作るときもおのずと地元に目線を向けたものになるし、売れる場所が限定的になって部数も多いとはいえない。

「もっと外に打って出ればいいのに」「外に出たって売れないよ」なんて口さがない声が聞こえてきて、むっとすることも納得することも、よくある。

だけど、地域も部数も限られていることがメリットというケースもあるのだそうだ。

わたしは出版社の人だから、本がたくさん売れればそれに越したことはない。だけど、古本屋さんでは事情が違っている。どういうことかというと、古本の世界では、手に入りにくいものの方が希少だとして価値が上がるのだ。

日本の中心地から離れた沖縄という場所で、部数は少なく、流通も限られた県産本を手に入れられることが、沖縄の古本屋さんにとってメリットになっているという。

へぇ、そうか、と思った。

もちろん、出版社にとってもメリットは大きい。本屋さんが減りつつあるなかで、県産本を積極的に仕入れて売ってくれる店はとても大切な存在だ。

「沖縄では本の業界の仲がいい」とはよく言われるが、それも当然のことだろう。わたしたちはゆるやかにつながりながら、本という血液をめぐらせて生きているようなものだ。

ある日、こんなことがあった。小学生の娘を学校へお迎えに行ったら、娘にいつもの元気がない。車に乗ってきて、泣きはらした目のまま黙り込んでいる。

様子をうかがうと、どうも友達とけんかをしてきたらしい。
どうしたもんかなと少し考えて、そのまま本屋さんへ連れて行くことにした。

知人が経営している小さなブックストア。娘はなんとなく店をぶらぶらしながら棚を眺めていたが、そのうち気になった本をめくるようになり、そっとベンチに腰をかけて読み始めた。

おうちや仕事場ではない、「第三の居場所」―。そんな話題を目にすることが増えてきた。それはサードプレイスなどと呼ばれていて、大人ならたとえばカフェだったり趣味の場だったりするのだろう。

でも子どもだとどうか。カフェに行くようなお金を持っている子は少ないだろうし、やたらに口を出されず、なによりも安心して過ごせるような、子どもにとっての「第三の居場所」、それは、本屋さんや図書館という「本のある場所」じゃないかと思う。

長いこと座り読みをしていた娘は、地元の新聞社が発行しているマンガ本を買った。気のいいお店の人とおしゃべりをして、帰り道は二人で笑いながら帰った。

これからも、めそめそしたいとき、元気がないときは、本屋さんに行けばいい。

誰かが作った本が、ある場所では誰かを生かし、ある場所では誰かをいやしながら、人と人とが有機的につながっていく。沖縄という小さな島々でそういう巡りがあることに、私は心から安らぎを覚えるのだ。
(喜納えりか・ボーダーインク編集者)




2019年2月14日木曜日

ブックンロール2019に関連して書いた文章(その1)


ブックンロールオキナワ2019に関して、新聞でコラムを3本書きました。
せっかくなので順次こちらのブログに掲載します。

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本のゲンバビトたち ブックンロール刺激的
(初出:2019年1月12日 沖縄タイムス3面「うちなぁ見聞録」)

近ごろ、「本屋の本」がたくさん発行されているのをご存じだろうか。たとえば個性的な本屋さんが紹介されていたり、オーナー自身がその経営のノウハウを書いていたりと内容はさまざまで、雑誌などで各地のお店が特集されることも珍しくなくなった。

さらに、ここ10年ほどはブックイベントもさかんに行われるようになっている。「出版不況」なんて言葉も聞こえてくる一方で、ここまで本と本屋が注目された時代もほかにないのでは、と思う。

フラッと一冊の本を手にして集まり、それぞれに感想を語り合う読書会から、絵本の原画の展示会、あるいは街を挙げての大がかりな古本市まで、本をめぐる集まりは思いのほか多種多様だ。

ひとくちに本といっても中身はいろいろだから、あらゆるジャンルと相性がいいのも当然かもしれない。

音楽とコラボした「ブックンロール」というイベントが、東京で開催されているのを知ったときのインパクトは忘れられない。ギターやベースを手にしてバンド演奏をするのは、書店員さんや編集者、取次といった現場の人たち。「ブック」と「ロックンロール」を合わせたキャッチーなタイトルもあいまって、全国の本好きのあいだではかなり知られていたようだ。

2014年、沖縄から飛行機に乗り、ブックンロールを聴きに行ってきた。ライブはもちろんのこと、第一線の本屋さんたちが語るトークはどれも刺激的だった。

たとえば商店街の中にある本屋さんが、すぐ隣に軒を連ねる「味つけ海苔店」とコラボして、おにぎりのレシピ本と海苔を並べて販売したところ予想以上の売上をあげたという。自由な発想に目からウロコが落ちるようだった。

本が売れないといわれる時代に、何かできないかともがいていた自分にとって、このイベントがひとつの答えのような気がした。わたしも、大好きな音楽を取っかかりに、「本への入り口」をつくる役割を果たせないか。

それから2年後、「のれん分け」のような形で、わたしは沖縄版のイベント「ブックンロールオキナワ」を主催することになった。もともと弾いたことのないギターを買って練習するところから始まり、音楽が好きな書店員さんを集めてバンド演奏をした。

トークの部では、沖縄の書店員さんたちに加えて、「本家ブックンロール」を主催している空犬太郎さんもお招きした。子どもの多い沖縄では、店頭に10円20円の駄菓子を並べて子連れを集客する工夫をしていたりと、沖縄ならではの創意工夫があるという。

また目からウロコが落ちた。

そして今年も、もうすぐ「ブックンロールオキナワ2019」が開催される(1月24日(木)19時30分~、沖映通りSOUNDSGOOD NAHA)。今度は本屋さんだけではなく、図書館司書や、流通からの出演も決まっていて、バンドも4つに増えた。

普段はなかなか顔の見えない「本のゲンバビト」たちが、どんなふうに奮闘しているのかを知ることによって、読む人、売り手や作り手にとっても新しい世界が開いてほしい。

そんなささやかな願いを込めながら、準備に励む日々だ。
(喜納えりか・ボーダーインク編集者)



2019年2月12日火曜日

【御礼】ブックンロールオキナワ2019、無事終了しました

ブックンロールオキナワ2019、無事に終了いたしました。
2018年10月に開催される予定のはずが、台風に見舞われて延期となり、そこからの仕切り直し。多くの方にご迷惑とご心配をおかけしました。

ですが、おかげさまで会場は満員御礼で立ち見も出るほど。新聞の取材も来てくださり、たいへんにぎやかなイベントになったと思います。フードを持ち込み自由にしたので、ご来場のみなさま食事しながら和気あいあいと楽しんでくださいました。イベント会場のスタッフさんは「ビールを仕入れに何度も走った」そうですよ(笑)。

仕切り直しになったことで出演ができなくなった方もたくさんいました。それまで練習にも打ち合わせにも一生懸命取り組んでくださったのに、それぞれに致し方ない事情があって無理を言うわけにはいかないのですが、見ていただけないと思うとたいへん心苦しく……。

ところが。
会場に、そうしたみなさんのお顔がチラホラ。
無理をおしてご来場くださったのです。

「事情によりどうしても出演は難しいけど、頑張って来ました。応援しています」という方ばかりで、その気持ちにもうもう胸が熱くなるばかり。おひとりおひとりの名前を出すことはできませんが、心から感謝申し上げたいと思います。

また、急きょの内容変更にもかかわらず、新規メンバーを入れるなど対応してくださったバンドの方々、トークにご対応くださった方々にも深く感謝いたします。

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ゲストとして今回も東京から来てくださった空犬太郎さんが、ブログ「空犬通信」で詳細なレポートを書いておられます。

当日の様子です
沖縄ブックスポット巡り その1 図書館編(恩納村文化情報センター)
沖縄ブックスポット巡り その2 図書館編(沖縄県立図書館)
沖縄ブックスポット巡り その3 書店編
沖縄ブックスポット巡り その4 買ってきた本

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【ライブの部】、じつは、当日になるまで各バンドの演奏がどんなふうになっているのか、主催者である私も知りませんでした(それでいいのか)。ふたを開けてみたら、ロックあり、昭和歌謡あり、ラップあり、フォルクローレあり、オリジナルソングあり。

編成も、ホーンやカホンやウィンドチャイムを使った大所帯バンドに、南米の「サンポーニャ」という笛や鍵盤ハーモニカみたいな楽器「アンデス」を交えたアコースティック、そしてエレキなロックバンド、マイク1本のパフォーマンスまで本当にいろいろ。普通に音楽イベントとしても充実した内容になっていたと思います。

「おお〜」という客席からのどよめきが時々で上がっていました。
みんな才能スゴイのね……。

私は「炭酸水」というバンドでサブギターとして出演しました。

【トークの部】では、取次や図書館といった現場のお話をたくさん伺いました。まあ、けっこう専門的な話だったかもしれませんが、なぜか会場から爆笑が何度も起きていました。「そうそうそう、こういうことがやりたかった!」ってステージの上から(慣れない進行に苦労しながら)思っていました。これは、話者のみなさんの魅力に尽きますね。

本や本屋のことって、なんだか「マジメー」とか「難しそうー」とかって思われることが多いですよね。自分がイベントに行く側だったら、「マジメー」とか「難しそうー」って感じてしまうイベントは、どんなに内容に価値があったとしても敷居が高く感じてしまうはず。

ですがこれが「本にかかわる人たちがバンドやるってよ!」「現場の話、なんかめっちゃ面白いみたいよ!」っていう切り口だったらどうでしょう。もちろんマジメな話もするんですけど、受ける印象はぜんぜん違うはず。そして実際に参加した人から、「面白かった」「すごかった」「楽しかった」という声もたくさん聞こえてきています。

これが、ブックンロールという「仕組み」の魅力でもあると思います。
あらためて、ブックンロールを生み出してくれた空犬太郎さんに感謝、深謝いたします。

今年のブックンロールについて、いくつか新聞でコラムを書きましたので、次回以降にアップしたいと思います。




2019年1月23日水曜日

1/23現在【トークの部情報】佐奈喜彩子さん

いよいよ明日になってしまいました!「ブックンロールオキナワ2019」。
現状、満席を超えて追加のイスを用意している状態です。タイミングによってはこれ以上のご予約をお断りするかもという微妙さです。まだいけるかな、どうかな。ご予約の方法はこちらをご参照ください

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さて、ブックンロール出演者告知、ラストの方はこちら!
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日販 沖縄サテライト営業担当
佐奈喜彩子さん
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本と本屋さんが好きという方でも、「取次(とりつぎ)」というお仕事がどんなものか、知っている方は少ないかもしれませんね。という私も詳しいことはあまり分かっていないのですが……。

取次とは、出版社と本屋さんのあいだに入ってくださる流通業者のこと。出版社が取次さんに本をおとどけして、取次さんが本屋さんにおとどけする。そして本屋から読者の手に渡る、という仕組みです(残った本の返品もこれと逆の流れで行われます)。

泣く子も黙る大手の取次業者「日販」の沖縄サテライトへ、佐奈喜さんが赴任してきたのは2017年のこと。もちろん本屋さんにたくさんの本が並んでいるというのは全国となんら変わりはないのですが、そこに何だか、見たことのない棚がある……。

それは、「県産本」と呼ばれる、沖縄の出版社が発行した本たちであった……。

それもそのはず、沖縄の出版社の多くが、地元の本屋さんとは「直取引」、つまり自分たちで本屋さんに本をお届けして、自分たちで本屋さんを回って残り在庫数を確認し、売上を上げるという形態をとっています。つまり地元の出版社が、県内流通において大手の取次さんと取引をするということがあまりないのです。

もちろん、県外の書店さんにお届けするときには取次さんに扱っていただきますが、ボーダーインクの場合は、作る本が沖縄向けということもあり、県内と県外の比率は9:1くらい。

沖縄の出版社は、その商習慣によって、書店さんから注文があったばあいも即時に届けられるというメリットもありますし、自力ではなかなか行くことのできない本土の書店には販売圏を伸ばすことができないというデメリットもあり、ある種の「ガラパゴス」状態といえるかもしれません。

沖縄にやってきた佐奈喜さん、沖縄の書店・出版事情を見て大きな衝撃もあったそうです。ここには書きませんが、そのお話を聞いて地元の私たちも逆に衝撃&爆笑してしまいました。そりゃそうだよな……。
何に衝撃を受けたのかはトークの現場でぜひ確かめてください。そして、読者さんにはなかなか見えない立場で奮闘している取次のお仕事についてお伺いできればなと思っています。