2019年2月28日木曜日

ブックンロール2019に関連して書いた文章(その3)

ブックンロールオキナワ2019に関して書いたコラムをこちらに順次掲載していきます。
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「沖縄学の父」の願い
(初出:2019年1月12日 沖縄タイムス3面「うちなぁ見聞録」)

昨年12月、那覇市泉崎に新しい沖縄県立図書館がオープンした。3フロア分の巨大でおしゃれなスペースに80万冊を超える蔵書が収められていて、行くだけで心が浮き立つようだ。

よく知られたことだが、県立図書館の初代館長を務めたのは、「沖縄学の父」ともいわれた伊波普猷である。今からさかのぼること109年、1910年の開館時に行われた演説が、『伊波普猷全集』(平凡社、全11巻)に残されている。

それによると、当時の収蔵書籍は4560冊で、40人を収容する一般閲覧室、34〜35人が入れる児童室、8人の婦人室。さらに将来的には貸し出しも可能としたいこと、夜の時間帯にも開館したいことや、巡回図書館も実現したいこと—などが述べられている。

沖縄のブックスポット事情について、先日行われた本と音楽のイベント「ブックンロール」で、東京からのゲストがこんなことを語っていた。

「どこのお店や図書施設に行っても郷土の本が充実していて、しかもそういう店・施設が近接する商圏内に複数あっても問題なく共存できている。地元の人にはそれが当たり前でぴんとこないかもしれないが、とてもいい本事情が成立しているように思う」

沖縄は小さな島嶼県だから、もともと本屋がなかったり、時代の流れで消えてしまった地域が多い。そういった場所に新しい人がやってきて古書店をオープンさせたり、あるいは図書館などの公共施設が「本のある場所」を一手に引き受けているケースも少なくない。

また、地元の本屋さんが、地元の出版社から本を仕入れて、地元の図書館に届けたりすることも日常的である。

全国的には、「図書館が貸し出しをすることで新刊書が売れなくなる」という理由でのトラブルもあるという。沖縄でもさまざまな内情はあるかもしれないが、私には、みなが垣根を越えて「本のともしび」を守り続けているように見えるのだ。

1946年、伊波普猷は、暮らしていた東京から「灰燼沖縄へ図書を!! 出版界の義挙を懇請」とする手記を書いている。

当時の沖縄は戦争によって何もかもが失われていた。

「沖縄では紙も印刷機も無く辛うじて拾ひあつめた若干の活字で発行してゐる貧しい週刊新聞一紙を措いては読物皆無、その他新しい時代の息吹に触れるべき何等の読物もなく、(中略)識者層、青少年達はせめて読物だけでも送つて欲しいと、切実な希望を訴へて来て居るのであります」

「出版界の皆様の御同情に訴へ、新時代の要請に即して刊行された書籍雑誌類を郷里沖縄の人々に送り、精神的糧たらしめ、同時にその奮起を促す一助にしたいと念願いたして居ります」

それから1年足らずで伊波は病気のためにこの世を去った。
人生の最晩年に、沖縄へ書物を届けたいと願ったのだ。

那覇市寄宮にあった旧県立図書館での最終日に足を運んだことを思い出す。ラストコンサートとして弦楽カルテットの演奏会が行われ、集まった人々がそろって記念撮影が行われた。スタッフや利用者たちに交じって、笑顔で最前列に並んで写真に収まったのは、たくさんの本好きの子どもたちだった。

本のともしびを、沖縄の未来を守ろうとする人は、いつの時代でも存在する。
本をとりまく状況が厳しくなった時にこそ、そのことを忘れずにいたいと思う。
(喜納えりか・ボーダーインク編集者)



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